東京地方裁判所 昭和48年(ワ)5171号 判決 1975年1月28日
原告
鈴木昭男
右訴訟代理人
渡辺武彦
外二名
被告
高橋健次
右訴訟代理人
成富安信
外一名
主文
一 被告は原告に対し、金二〇〇万三、六〇三円及びこれに対する昭和四八年七月一四日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用はこれを五分し、その四を原告の負担とし、その一を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 申立
(原告)
被告は原告に対し、金二、〇四一万四、一六〇円及びこれに対する昭和四八年七月一四日から右完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
との判決並びに仮執行の宣言。
(被告)
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
との判決。
第二 主張
(原告)
請求原因
一、事故の発生
1 日時 昭和四七年八月一九日午後四時三〇分ころ。
2 場所 千葉県東葛飾郡浦安町字今川地先空地(以下「本件現場」という。)。
3 態様 被告が地上で操縦するラジオコントロール式模型飛行機(以下「本件飛行機」という。)が、本件現場に居合わせた原告の頭部に衝突し、原告が負傷した。
二、被告の責任
1 被告は、模型飛行機マニヤとしてラジオコントロールによる模型飛行機の操縦を行なつている者で、事故当日も本件現場において、ラジオコントロールで本件飛行機を操縦していた。
2 本件現場には、立入禁止場所であることや模型飛行機の専用飛行場である旨を表示する標識並びに道路との境界物等は一切なく、誰でも自由に立入りできる状態になつていた。また当日は本件現場において、かなりの強風が吹いていた。
3 ところで、本件飛行機は金属その他で構造され、可成りのスピードで飛行するものである。したがつて、右のような状況下にある場所において、被告が本件飛行機を飛行させようとするときは、そのコントロールが不可能となつて、現場に居合せる人間に危害を及ぼすおそれがあつたのであるから、被告としては、本件飛行機の操縦を中止すべき義務があり、或は少なくとも、被告らの背後約二メートルの位置に居て右操縦を見物していた原告らに対し、その場から安全な場所まで離れるよう指示すべき義務があつたものというべきである。しかるに被告は、これらの注意義務を尽さず、漫然本件飛行機の操縦を継続した重大な過失により、右強風のため操縦を誤り、これを原告に衝突させて、本件事故を惹起させた。
仮に、本件事故は偶々その直前に突風が吹いたことに起因するものであつたとしても、現場は海岸に近い平地であることから、右のような突風が吹くことも通常予測すべきもので、被告に前記注意義務違反があつたことに変りはない。
三、損害
1 原告は、本件事故により右前側頭部骨折、同部挫傷、急性頭蓋内血腫、右視神経損傷等の傷害を受け、昭和四七年八月一九日から同年一〇月三日まで市川市組合立葛南病院に、右同日から同月二一日まで関東労災病院にそれぞれ入院して手術・治療を受け、右病院を退院後も現在まで通院、治療中であるが、なお、右眼失明、左眼視力低下(視力0.5)、右前頭部凹変型、右前頭・顔面に瘢痕(約五×七×九センチメートル大)、左下腿知覚異常の後遺症が残つている。
2 ところで、原告は昭和二二年に生れ(事故当時満二四歳)、中学校卒業以後一貫して塗料吹付業に従事し、事故当時は、ガン吹付業、根本京次の許で職人として働いて、事故直前六カ月間に於て平均月額金一二万六、九八六円の収入を得ていた。
しかるに、原告は、本件事故によつて、前記のとおり負傷、入院し、退院後も、前記後遺症のため昭和四七年一二月末までは、全く業務に従事することができなかつた。さらに、原告の仕事は高所作業が多く、前記後遺症(右眼失明、左下腿知覚異常)のため、原告は今後高所の作業をすることは不可能になり、また、低所の作業も十分にできない状態となつた。
3 損害額
(但し、治療費、諸雑費、通院による慰藉料及び弁護士費用を除く。)
(一) 慰藉料
(1) 入院によるもの 金三一万五、〇〇〇円
一カ月当り金一五万円として、二カ月と三日分。
(2) 後遺症によるもの 金一六五万円
後遺障害の等級 第七級一号に該当
(3) 計金一九六万五、〇〇〇円
(二) 逸失利益
(1) 休業による損害 金五五万四、五〇〇円
一カ月当りの収入金一二万六、九八六円として、前記のとおり入院及び後遺症のため就労できなかつた期間、四カ月一一日分。
(2) 得べかりし収入 金一、七八九万四、六六六〇円
前記後遺症による労働能力喪失率五六%
年収 金一二万六、九八六円の一二倍
就労可能年数 三八年(満二五年から六三年まで)
年五分の中間利息控除 ホフマン式
(年別)
係数20.970
(3) 計金一、八四四万九、一六〇円
(三) 損害額合計 金二、〇四一万四、一六〇円
四、よつて、原告は被告に対し、その不法行為による損害賠償として金二、〇四一万四、一六〇円及びこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四八年七月一四日から右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(被告)
請求原因に対する認否
1 一項の事実は認める。
2(一) 二項のうち、1の事実は認め、2、3の事実は否認する。
(二)(1) 被告は、ラジオコントロール式模型飛行機の操縦につき既に七年の経験を有し、本件事故当時、我国の同好主要三クラブの一に数えられる「シルバーウイング」クラブの会員であり、我国の主要競技会に出場し、かつ入賞した経歴を有する技法練達者である。被告は、本件飛行機を既に二カ月間、約百回使用しており、いつも前記クラブの有する専用飛行場である本件現場で飛行を行なつていた。
(2) 本件事故当日、被告は、右クラブ会員とともに本件現場において交互に飛行操縦を反復していたところ、本件事故は、被告が本件飛行機の数回目の飛行を終え、最後の段階である着陸に入ろうとした際に発生した。原告は、この着陸直前に操縦に専念している被告の後方からその友人と三人で専用飛行場に立入つて来たものであり、その時までは現場には前記クラブ会員しか居らず、被告は原告らの右立入りには全く気付かなかつた。
(3) 模型機の着陸は、実機と同様に遂次高度及び速度を下げ、高さ地上約一メートル、時速約一〇キロメートルに至つたところで失速させて接地するものであるところ、この失速前後の速度の際には、機は既に推進力を有せず惰性で進行しているに過ぎないから、舵はもはや全く利かず、操縦は不可能の状態にある。
本件事故は、本件飛行機が着陸のため右の失速寸前の状態に至つた際に、その左前方から俄かに突風が吹いたため、機体が進路から右横方向へ旋回状に押流され、被告の後方に居合わせた原告に地上約一メートル以下の高度で衝突したことによるものであり、右突風に基づく不可抗力によるものである。
3 同三項の事実は不知、同四項は争う。
第三 証拠<略>
理由
一請求原因第一項の事実(事故の発生)は当事者間に争いがない。
二そこで、被告の責任について判断する。
1 請求原因第二項1の事実は当事者間に争いがない。
2 <証拠>を綜合すれば、つぎの事実が認められる。
(一) 本件事故現場は、その東南約六〇〇メートルにおいて海岸に面し、北西約三〇メートルにおいて公道に面する、平坦な海岸埋立地であり、附近に建物等はなく、芦叢・芝地又は砂地である。公道から事故現場への出入りは自由であり、立入禁止等の標識や障害物はない。
事故発生当時は晴天で、千葉測候所の地上気象観測によれば、その風向、風速は南々西秒速一二メートル前後であり、右現場においても南東方面(海岸)から北西方面(内陸)へ同程度の風が吹いていた。
(二) 被告は、RC模型機の操縦を既に七年間も経験して、各種競技会にも多数参加していたが、当日も本件現場において、その所属するクラブの会員親子(小学生)とともに、本件飛行機の操縦をしてFAI種目の飛行(実機が行う曲技飛行選手権大会と同一飛行種目内容で離陸から着陸まで)を数回反覆していた。事故発生時は、その飛行を終え最後の着陸段階に入ろうとしていた。
(三) 一方、原告は、当日本件現場近くの作業現場に塗装の仕事に赴いたが、前記の風のため作業ができなかつたのでこれを中止し、同僚二名とともに自動車で帰途についた途中、遠方から本件飛行機の飛行を見つけ、これを見しようとして本件現場に向かい、公道から現場の空地へ入り、操縦中の被告の背後方約四メートル、前記クラブ会員親子の直ぐ後方附近の場所に立ち、前記同僚とともに本件飛行機の飛行を見ていた。
(四) 本件飛行機は、デボネア・シーラーと呼ばれる、エンジン部等に金属製の構造物を含む競技用のスタント機であつて全長が一メートル以上もあり、その飛行速度はプロペラ実機と大差ないほどの性能を発揮しうるものであるから、これが滑空速度時あるいは失速時であつても、人体に衝突すると大きな事故を惹起させる可能性がある。本件飛行機のようなスタント機は、前記(一)記載程度の強風下においても、上空にある間はかなり安定して飛行するが、離陸時および着陸時には強風による影響で不安定になることがある。また、これを着陸させるには、一度、滑走路上空を風上に向けて直線香行し、それから普通、左旋回で九〇度づつ四回まわり、右のうち第三旋回附近で少し機速を落とし、第四旋回でさらに機速および高度を落とし、それぞれ時速一〇キロメートル、地上約一メートルにまで下げたところで、滑空速度に入り接地するという方法をとるのであるが、右の段階では、もはや機速が遅いため舵が利かず、機を操縦することは殆んど不可能である。従つて、機を操縦する必要がある場合には、再びエンジンをふかせて機速を舵が利くところまであげて、舵を操作するのであるが、それには通常一ないし二秒を要する。
(五) ところで、被告は、自己の前方約二二メートルの地点に本件飛行機を着陸させようとしてこれを操縦し、第四旋回附近で機速と高度を落とし、同地点に向かい北々東の方向(向つて左方)から進入降下させてきたところ、同地点の直前において、同機は、成人の膝高位の高度に落ち、機速も滑空速度に落ちようとした状態のとき、その左方から右方に向けて吹いた突風(乱気流)のため大きく右側にあおられ、九〇度近い旋回状の姿勢をとり、そのまま前記クラブ会員親子や原告らの方向に向つて飛行した。
右に際し、被告は咄嗟に同機のエンジン出力をあげ、上昇舵をとつたが、機の方向を変更させる措置はとらなかつたため、本件飛行機はやや上昇気味にそのまま一直線に速度を上げて飛行し、原告の頭部付近に衝突した。
3 右認定の事実によると、被告は、ラジオコントロールによる模型飛行機(スタント機)を操縦し飛行させていた者であるが、前記のように右模型飛行機はその構造や性能上、人に衝突するようなときは、多大の危害を負わすことが予測されるものであるから、このような模型飛行機を操縦し飛行させようとする者は、他人の全く居ない場所を選択するなら格別、附近に人が居る場合には、当該場所の広さ、風向、風速等を考慮して、右飛行機の機能の範囲内において、人に衝突することがないような飛行進路をとり、万が一にも、飛行進路が外れ飛行機が人に向うような場合には、直ちに正常な飛行進路に回復し、これが不可能なときは急拠飛行機を墜落させる等の措置をとり、もつて人体に対する危害の発生を未然に防止すべき義務があるものというべきである。しかるに前記認定のとおり、被告は、強風下における本件事故現場において、本件飛行機を着陸させようとする際は、その背後に人が居ることを知りながら(少なくとも前記クラブ会員親子が居ることは知つていた。)飛行進路と人の距離を充分とることがなく、本件飛行機が突然進路を変えて人に向つたときもそのまま上昇できると軽信してその操縦をしたのみで、前記の回避措置をとらず、もつてこれに対する危害の発生を防止すべき前記注意義務を怠つたことは明らかであるから、これにより惹起した本件事故につき不法行為としての責任を免れない。
被告、原告らが被告の背後方から事故現場に入つてきたため、同人らの存在に気がつかなかつたと主張するけれども、前掲認定のとおり、本件飛行機がその進行方向から外れて、前記クラブ会員親子の「人」の居る方向に進行したこと、また被告がその「人」の存在を知悉していたことが認められる以上、仮に、被告が原告らの存在に気がついていなかつたとしても、前記注意義務の消長をきたすものではない。
さらに、被告本人尋問の結果中には、被告は本件飛行機が突風にあおられて進行方向を変えたとき、直ちに方向回復の措置をとつたけれども、舵が利くまでの時間的余裕がなかつた旨の供述部分があるけれども、前記認定の本件飛行機の速度及び進路変更地点と原告へ衝突した地点との距離から推して、右供述は直ちに信用することができない。
4 そうだとすると、被告は本件事故により原告の蒙つた損害について責任を負うべきである。
三しかし一方、前記認定の事実に<証拠>を併せ考えると、被告は本件飛行機を操縦するに際して、一応ほとんど人が出入しない場所を選定しているのに(但し、事故現場が専用飛行場であることを認める証拠はない。)、原告は、右飛行機を見物する目的で、わざわざ公道から事故現場に入り、黙つて被告らの背後に近づくなど、いわば自ら危険な状態下に入つており、しかも本件飛行機が近づいて来たときも、本件飛行機がそのまま頭上を超えて上昇するものと軽信し、衝突から避難する行動を遅らせたことが認められ、このような原告の軽率な行動が本件事故発生に寄与していることも否定しえないところである。
そして、前記認定の諸般の事情を勘案してみると、本件事故における原告側の右過失の割合は二〇パーセントであると認めるのが相当であるから、同割合で過失相殺すべきである。
四原告の損害につき判断するに、<証拠>によれば、次の事実が認められる。
1 原告は、本件事故により、右前側頭部骨折、脳挫傷、急性頭蓋内血腫、右視神経損傷等の傷害を受け、昭和四七年八月一九日から同年一〇月二一日までの間、市川市組合立葛南病院及び関東労災病院に入院して手術及び治療を受け、退院後も暫らくの間通院治療するも、現在、右眼失明、左眼視力低下、左下腿知覚異常等の後遺症がある。
2 原告は、中学校卒業以来、一貫して塗料吹付業に従事し、昭和四七年一月から同年八月一九日(本件事故当日)の間塗装業・根本京次に雇われ、同年二月から同年七月までの六カ月間において、一カ月平均金一二万六、九八六円の歩合制による給与を支給されていたが、前記入院期間中並びに退職後も昭和四七年一二月末日までの間は前記治療及び後遺症のため全く稼動することができなかつた。
3 そこで、原告の損害額につき検討するに、
(一) 慰藉料
(1) 入院に対する慰藉料 前記認定の傷害の程度、入院の期間等を考慮すると、この慰藉料として金三〇万円が相当であると認める。
(2) 後遺症に対する慰藉料
<証拠>によると、原告は、前記後遺症のため、従前の仕事を完全に遂行してゆくことに或程度の困難が加わることが認められ、これと本件事故の態様、傷害の部位・程度その他諸般の事情を総合して考慮すると、この慰藉料としては金一六五万円が相当であると認める。
(二) 逸失利益
(1) 休業による損害
前記認定の原告の平均収入及び休業期間によると、金五五万四、五〇〇円をもつて原告の休業中の逸失利益と認めるのが相当である。
(2) 得べかりし収入
<証拠>によれば、原告は、本件事故による退院後六カ月にして働きに出て、約一カ年間後藤工業こと後藤義広方に勤め、その間日給六、五〇〇円の割りで毎月約一二万円の収入を得ており、さらに、現在は原告の兄方で塗装業に従事し、同人から日給金七、〇〇〇円を支給され、毎月二〇日間位稼働しているところ、昭和四九年八月分として金一四万三、〇〇〇円の収入を得ていることが認められる。右事実並びに前記認定の原告の本件事故前の平均月収を比較すれば、原告が本件事故により将来得べかりし利益を喪失したものと認めることはできないのであり、また、右認定事実を考慮すれば原告の得べかりし収入を原告主張の方式により算出することは相当でない。
前記原告の供述中には、前記後遺症のため高所作業ができない結果として原告に減収をもたらす趣旨の部分があるけれども、他方、同作業は一般に三七才位の年令になればできなくなることや、前記後遺症のもとでの作業にも慣れてきており、将来高所作業もできる見通しであると供述している部分もあり、また、原告の兄から現在得ている給与は兄弟関係の情宜に基づく特別に高額なものであるとの供述があるけれども、その供述部分は前記後藤から受けていた給与額に照らしにわかに措信しがたい。以上の事実を総合して勘案すれば、結局、原告における将来の逸失利益の存在も認めるに足りないというほかない。
よつて、この部分に関する原告の主張は埋由がない。
五以上によれば、本件事故と相当因果関係にある原告の損害は合計金二五〇万四、五〇四円となるところ、すでに認定の被害者(原告)の過失割合に従い二〇パーセントの過失相殺を行うと、原告の損害は金二〇〇万三、六〇三円となる。
したがつて、被告は原告に対し、右金二〇〇万三、六〇三円およびこれに対する不法行為以降である昭和四八年七月一四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
六よつて、原告の本訴請求は右金員の支払いを求める限度においては正当としてこれを認容できるけれども、その余の部分は理由がないので失当として棄却すべきである。よつて訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言については同法第一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決した。
(藤井俊彦 佐藤歳二 芝野義明)